Australia から哀を込めて

真面目が日本を脱出し堅物脱却を目論む話

誕生日のinvitation

主なボディタッチは、頭をポンポンとされる(韓国ドラマとかでよく見るやつ)、くぅーっといいながら私の鼻をつまむ(なんて表現したらいいのかわからないけどこれも韓国ドラマで見たことがあった)、冷凍庫を開けてものを取っていると、あえて真後ろに立たれバックハグされるようにしながら冷凍庫のものを取っていく、などから始まっていった。

「アリーは社交的すぎるから好きじゃない。君と僕は内向的だから似ている」と。

 

 

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身震いの正体

私が入居して1週間後、他の部屋が空き入れ替わりで一人の女の子が引っ越してきた、アリーだ。彼女はとてもフレンドリーで好奇心の塊で彼女の周りにはいつも笑いが溢れていた。私たちは年齢も近くすぐに仲良くなった。

そしてアリー、ケビン、私で家に帰るとダイニングで喋る機会が多くなった。

アリーがいない時はケビンが私にご飯をシェアしてれる日もあった。私はただ英語の勉強にもなるしご飯ももらえてラッキーくらいに思っていた。ただ本当に呑気だったのだ。

 

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新しい生活の始まり

4週間のホームステイを終え、ついに私は窓と広いベッドを手に入れた。

嬉し過ぎてニヤニヤが止まらなかった。

次の日、朝日とともに私はニワトリのコッコッコッと鳴きながら走る音で目が覚めた。

気分は最高である。

 

 

 数日後、私はケビンから掃除のレクチャーの約束があった。

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違和感の予感

インスペクションの家に着くとそこは大きなレンガ造りの一軒家だった。

緑の芝生の広い庭、ザクロの木。庭と家の周りをコッコッコッと駆け回る…ニワトリ達。

 

 

玄関のドアを開けると直接広いダイニングキッチンのホールとなっており、そこには扉が3つ。一つはトイレとランドリーへのドア、もう一つはオーナーの住んでいる部屋、そして最後のドアは廊下につながっておりその先にバスルームと4部屋個室があった。

 

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お部屋にまつわるエトセトラ

私の一番の心配事は、部屋探しだった。

 窓なしホームステイには4週間と期限付きだった。あの部屋から出るのは非常に嬉しいのだが、終わりがあると思うと余計に焦ってしまうのだ。

ホームステイが始まってから1週間以内には私は部屋探しに動き始めていた。

 

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牢獄にあって私の部屋には無かったもの

2016年秋、私は日本を飛び立ち真逆の季節、春のオーストラリア、第二の都市メルボルン降り立った。この時の私をひと言で言えば満身創痍だった。

 

 

 

私の災難は家を出て三歩から始まっていた。

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はじめに

このblogは日本を飛び出し、南半球オーストラリアに住み着いた私の備忘録です。

 

ざっと今までの経歴を話すと、日本で看護師として働き気づいたら20代が職場と自宅の往復で終わると悟り、日本脱出を決意。

2016年秋に渡豪しWorking Holiday(ワーホリ)ビザで1年間滞在→帰国。のはずが、諸事情によりワーホリ2年に延長、さらに諸事情その2により学生ビザ申請して1年半さらに延長して今に至っている。

そしてまた次のビザ問題に直面して焦り始めている、いや猛烈に焦っている。

 

本当はblogを始めるタイミングではないのはわかっているのだが、この3年半なかなか濃いエピソードがいくつかあったのだが、だんだんと記憶が忘却の彼方になりつつあるので書き留めておきたいと思い立った次第なのだ。

よって、これは私の備忘録であり、全くワーホリワーカーや海外生活に希望を持っている人向けではなく、あくまで「へぇ〜こんなことあるんだ」程度の箸休め的な内容なのである。

 

 人を疑わない純粋無垢真っ白からお腹が真っ黒になるまで。

さかのぼりますよ、、blogの記事が現在に追いつく頃にはビザなんとかなってるといいな。。。

 

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